暗算を生かす人・生かせない人
中学生数人の練習後の会話から。
白板に多角形の図形を書き、さらに対角線を引き、図の一部の面積と辺の長さを求める。
生徒は先生をチョッとからかって?「先生(逸子先生)わかりますか?」先生「わからな~い!」と。
問題を解くには√などの桁数が多く、筆算では時間がかかる。
でも、彼らは得意の暗算ですばやく解く、という。
学校の先生は計算が遅くて・・・と。
暗算は上級の実力を持つ小学生の生徒の話から。
算数が得意という。だが、学校のテストでは満点を取れない、と悔しがる。
計算問題は暗算で簡単にできるが、文章問題で途中の計算式を書きなさい、という問題でポカミスをする。
答えが暗算で先に浮かぶため、途中の計算式で、閉じカッコや=を書き忘れて×をもらう、という。
その生徒はそろばんの練習で、間違いを見直すことを嫌がる。この直すのを嫌がる悪い態度がテストに現れるのでは。
暗算で余った時間で、見直しをしっかりやる態度・習慣を身につければ、テストでもミスを減らすことが出来ると思う。
その生徒は本を良く読んでいるようなので、読解力はあると思う。満点を取れる努力をして欲しい。
見直しをやる態度・習慣を身につけさせるのは、指導者の責務だ。
昔私が習ったそろばん教室と雰囲気が違う
(その2)
十数年前のそろばん塾(教室)は、『おぐソロ』を含むほとんどの塾がそろばん技能を身につけ、資格を取得することが目的のようだった。その頃の教室の雰囲気は、先生の「よ~いはじめ」の掛け声で一斉にパチパチとそろばんを弾く音が教室に響いていた。
ところが、数年まえから『おぐソロ』の教室は、先生の「よ~いはじめ」の掛け声で一斉にそろばんを使わず、鉛筆だけが動いている。静かだ。その動きは文章でも書いているかのように滑らか。四郎丸・福住・新保の教室ではライブでその様子が見られるかも。
時々の風景 その25
先日、私と同年の仲間の懇親会で通訳の話。
私の隣にAさんその隣に私と同等の難聴者Bさんがいた。
会場は盛り上がりあちこちで大きい声が飛び交う。私はこのような雰囲気の中では会話に入れない。補聴器も余り役に立たない。
Bさんとの会話はAさんが通訳してくれて会話が出来た。私は思った。
日本語同時通訳士検定があってもいい。
私には妻の通訳士がついている。
コメント